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水騒動、火垂るの墓と震災と(05)

御冥福を祈りつつ…
 

 終戦近い神戸は連日、B29の空襲に見舞われていた。
幼い兄妹・清太と節子は混乱のさなか、母と別れ別れになった。
清太が非常時の集合場所である国民学校へ駆けつけると、
母はすでに危篤状態で間もなく息絶えてしまった。
家を焼け出された兄妹は遠縁に当たる未亡人宅に身を寄せた。
しかし、うまくいっていた共同生活も、生活が苦しくなるとしこりが出てきた。
未亡人は学校へ行かず、防火訓練にも参加しないで
ぶらぶら遊んでいる二人に対して不満をぶつけるようになった。
清太は息苦しい毎日の生活が嫌になり、ある日節子を連れて未亡人の家を出た。
そして、二人はわずかの家財道具をリヤカーに積み、
ニテコ池近くの川辺の横穴豪へ住みついた。
兄妹は水入らずで、貧しくとも楽しい生活を送ることになった。
食糧は川で取れるタニシやフナ。
電気もないので明りには、蛍を集めて瓶に入れていた。
節子は幼心に母の死を知っており、蛍の墓を見ながら偲ぶのだった。

あかん〜涙が…
 
             撮影:平成19年09月23日  

西宮震災記念碑公園の横に
整備されたニテコ池が有ります。

※当時からある一種独特な形の水利施設
西宮の水源地

バックの六甲の峰に
妙にマッチして〜

※ん?
何??

浮ドン凝視〜

※ああ〜
池の鯉…
餌貰おうと。。

ニテコ神社横に有る名次神社

※大阪北浜富和商店の銘のある
石灯篭。。


神様に一礼!

※古墳も見られます。

ここにも石作りの神様

廣田神社の摂社で
「水分神」をお祀りし、雨乞いの霊験あらたかな社で
名次山は我が国最古の歌集万葉集巻三に
「吾妹子に稲名野は見せつ名次山角の松原いつか止さむ」
高市連黒人によって詠まれ、すでに千二百年の昔より、
名勝地として名高い。
現名次町は、明治末期まで当神社の境内地であり、
かって名次山中央の景勝地に鎮座されていましたが
、明治41年その北端の現位置に移転されました。



名勝地の証。。

※証券会社の銘も見られて。。

十六弁八重裏菊紋
皇室の印。。

※波紋彫りの手水鉢

さてと、下っていきますか〜

下りきると夙川に出ます。

※担いで渡ります。

変わったポンプの付け方。

※使われてないでしょうね。

阪急甲陽線の電車が〜



散歩の津中にて〜



夙川駅の横過ぎて〜



美味しいパン屋さんで
ちょいと休憩…



JR越に〜

※先へ〜

河口へ〜
今回は、浮ドンのホームグラウンド!
いつものように〜
神社巡りですが…郷土の歴史
+古墳もロマンも …
おもろいヤン!
カモサン、まだまださん、
ねずみ君福ちゃんは
お休み。。
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